粒うに発祥の地から「うに」情報を発信しています

「うに」っていつ頃から食べられていたのでしょうか?

実は結構昔から食べられており、山口県に数多くある縄文時代の遺跡や貝塚から魚の骨などに混ざってウニの殻や棘が発見されています。きっと縄文の人たちも、うにを食べていたのでしょうね。

では、うにがはじめて書物に出てくるのはいつ頃なんでしょう?

まず757年に施行された『養老律令』のなかに「ガゼ」という名前で登場しているとされています。そのほかの古文書にも「海胆」、「海栗」、「霊螺」、「宇爾」、「宇仁」等の文字が散見できるそうです。このころは主に生のまま食べられていたと思われます。

生のうにの事を海胆と呼ぶのに対して、うにに塩を加えた呼び名である「雲丹」という言葉が出てくるのは江戸時代に入ってからのようです。山口県では、江戸時代、文化・文政の頃、下関市西方の玄界灘に浮かぶ六連島から長府藩に、また嘉永年間には豊北町和久地区から萩藩にうにを献上したという記録が残っているそうです。

アルコール入りのうにの発明

明治20年頃、六連島の西教寺蓬山和尚がアルコール漬〈焼酎漬)を考えだしたと言われています。

当時、下関の六連島は外国からの捕鯨船の停泊地でもあり、たくさんの外国人たちがいたそうです。そんな外国人との酒宴の席で、たまたま出されていた「塩うに」に度数の高いリキュール(ジンだったと言われています)がこぼれてしまいました。しかし、そのうにを西教寺の蓬山和尚が一口食べた時、その芳醇な香りと食感にこれはと思われたそうです。

その後、試行錯誤の結果、塩うににアルコールを加えるうにが出来上がったそうです。さらにその教えを受け継いだとされる同島の城戸久七は、うにの保存法等の開発に努め、斯業の発展に尽くしました。当時は焼酎をそのまま使用していましたので、時には酵母等による異常発酵もみられ、貯蔵してい瓶などの容器が割れることもあったそうですが、純度の高いエチルアルコールを使用するようになり、現在のように品質の安定が確保されるようになりました。

近代のうに加工品

アルコールを加える方法が発見された当初は、木樽や陶器などの容器に入れられていましたが、衛生的な面や、見栄えなどのことからガラス瓶が使われるようになり、しっかりと残るうにの粒と鮮やかな色となども楽しめるようになり、山口県の名産品としての高い評価を得ることになってきました。

「ふく」、「くじら」と並ぶ山口県を代表する水産品として、現在もたくさんの方に召し上がって頂いております。